ソビエト宇宙飛行士・マッチラベル/1960年代


右列の上より、ユーリー・ガガーリン(1961・4・12/ウォストーク1号)史上初の有人宇宙飛行、一時間四十八分飛行。地球を一周。 小学校の3年生か4年生のときの国語の教科書にガガーリンの話しが載っていたことを覚えている。筆者(弊店店主)は、昭和30年生まれ。

右列の中、ゲルマン・チトフ(1961・8・6/ウォストーク2号)地球を17周、二十五時間十八分飛行。宇宙飛行で初めて1日を越えた。周回中のチトフ少佐の声は日本の郵政省電波研究所で傍受に成功している。 右列の下、アンドリアン・ニコラエフ(1962・8・11/ウォストーク3号)地球を64周、九十四時間二十二分飛行。この飛行の翌年(1963年11月3日)にウォストーク6号搭乗のテレシコワ空軍少佐と結婚。1965年秋には夫妻で来日している。

中列の上、パーベル・ポポビッチ(1962・8・12/ウォストーク4号)地球を48周、七十時間五十七分飛行。前日に打ち上げられたウォストーク3号と史上初のグループ飛行を実施。 ニコラエフとポポビッチのラベルはロケットが2機描かれているのがうれしい。

中列の中、ワレリー・ブイコフスキー(1963・6・14/ウォストーク5号)地球を81周、百十九時間六分飛行。 中列の下、ワレンチナ・テレシコワ(1963・6・16/ウォストーク6号)初の女性宇宙飛行士誕生。彼女が地球周回中に発した言葉「ヤー、チャイカ(私は、カモメ)」が一世を風靡。 48周、七十時間五十分飛行。

左列の上、1964・10・12打ち上げのウォスホート1号。左より、ウラジミル・コマロフ、コンスタンチン・フェオクチストフ、ボリス・エゴロフ。初めての三人乗り宇宙船。 フェオクチストフは、科学者。エゴロフは、医師。16周、二十四時間十七分飛行。コマロフ空軍大佐は、のちに打ち上げられたソユーズ1号(1967・4・23)にも搭乗したが、 大気圏突入時に宇宙船のパラシュートが開かず地面に激突、死亡。有人宇宙船活動中の最初の犠牲者となる。

左列の下、1965・3・18打ち上げのウォスホート2号。左より、パーベル・ベリヤーエフ、アレクセイ・レオーノフ。最初の二人乗り宇宙船。17周、二十六時間二分飛行。 レオーノフ飛行士、史上初の船外活動を五分間実施。


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