今回は秋田県の岩城町に建立されています「日本ロケット発祥記念之碑」を紹介させて頂きます。
写真を添えましたがよく解らないと思いますので碑文を以下に書き写します。
「日本ロケット発祥記念之碑」のみ上部に横書きで本文は縦書きです。
石碑の大きさは高さ2b30a・幅1b20a、台座の高さ約1b・幅3bほどです。碑の中央にロケットの図があり、
その右側に6行、左側に5行に分けられて書かれています。
日本ロケット発祥記念之碑
昭和三十年八月六日国産初のペンシルロケットが東京大学技術研究所によって
この海岸で打ち上げられました 昭和三十二年七月から昭和三十三年まで実施される
国際地球観測年に参加するための予備実験であった
以来昭和三十七年五月のカッパー8型十号ロケットまで七年間に八十機余のロケット
実験が行なわれた 最初のロケットは全長二十三センチメートル高度六百メートル
であったが昭和三十六年打ち上げの三段式ロケットカッパー9L型機は全長
「ロケットの図」
十二・五メートル高度二百五十キロメートルと長足の進歩を遂げた
世は正に宇宙時代への夢はさらに大きく膨らむであろう 日本の宇宙時代の
夜明けとなったロケット発祥の地 道川海岸を永く後世に伝えるため岩城町誕生
三十周年を記念しこの碑を建立する
昭和六十年七月吉日 岩城町長 前川盛太郎
以上が全文です。尚、碑文冒頭の「国産初のペンシルロケット云々」は正しくは
「ペンシル300型」のことで「ペンシルロケット」の最初の公開実験は昭和30年
4月14日に東京都国分寺の新中央工業内の旧陸軍機関銃試射場において行われています。
余談ながら「ペンシルロケット」は当初、関係者の間では「ミニアチュア・ロケット」も
しくは「タイニー・ランス(小さい投槍)」と呼ばれていたそうで「ペンシル」はマスコ
ミが広めてしまったあだ名のようです。それがいつの間にか正式名称になったと言うこと
だそうです。