水澤町萬國緯度観測所 絵葉書 亀梨書店発行


(宮澤賢治・風野又三郎 より)

僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本統は少しとろとろ睡ったんだ。 すると俄かに下で「大丈夫です、すっかり乾きましたから。」と伝ふ声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手とがラケットをさげて出て来ていたんだ。 木村博士は瘠せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。(新校本 宮澤賢治全集第九巻 筑摩書房より「風の又三郎・初稿−風野又三郎」)

・・・で、これがそのテニスコートだろうか。水沢緯度観測所(当初は臨時緯度観測所であったが、1920年に正式に緯度観測所となる。現在は国立天文台水沢観測センターと呼称されている。注:その後変更、水沢VERA観測所→水沢VLBI観測所)の創立は、 1899年(明治32年)で初代所長は前記の文章に出てくる木村 栄(きむら ひさし、明治3年−昭和18年)で1941年(昭和16年)まで在職。

絵葉書の中央右よりの屋根に露台がある建物は、現在「木村栄記念館」となっている建物で、初代の緯度観測所の本館を裏側から見た構図になっている。

賢治が緯度観測所を訪問した時期はさまざまな資料から1920年(大正9年)の梅雨の頃であったろうと推定されている。賢治24歳のときのことで盛岡高等農林学校の2年間にわたる研究生生活を修了した直後である。

そして「風の又三郎」の先駆をなす作品「風野又三郎」はこのときの訪問の翌々年、1922年(大正11年)に書かれたといわれている。上記の文中の「大丈夫です、すっかり乾きましたから。」というのは、雨で湿って いたテニスコートがすっかり乾いた、ということであろうか。賢治は梅雨の晴れ間にテニスに興じる博士を実際に見たのであろう。木村博士48歳前後の頃のことである。

掲載の絵葉書の撮影年は不明だが、中央に添付された1銭5厘の「田沢切手」と櫛型印と呼ばれる消印から明治末年〜大正初年と思われる。田沢切手も櫛型印も長い期間使用されたデザインなので絵葉書の消印は、 大正2年ではなく、昭和2年と考えることも可能で、この場合、撮影年代は明治末〜昭和初年まで広がることになる。しかし、添付された切手は、印面寸法(縦22.5ミリ×横19ミリ)と偽造防止の方法により大正2年8月31日 に発行が開始された「田沢型大正白紙切手・旧版平面版」と思われるので、発行直後に使用された、つまり撮影は明治末年〜大正初年と考えるのが自然ではないだろうか。

この絵葉書の下端に(其四)とあるので他の絵葉書または「緯度観測所75周年誌」を見れば撮影年代は簡単にわかることかも知れないが、残念ながら未見。 ・・・・で、消印は何かの記念に押したものであろうからこの日付の日に何があったのか調べてみたが、これも不明。強いてあげれば、岩手県盛岡市出身の原敬(内務大臣、のちの政友会総裁・首相)が大正2年9月に水澤を訪れている。

岩手県内各地を視察したようだが、来訪の目的のひとつに原敬の少年期の漢学の師である小山田佐七郎先生の墓の再建がある。原敬が岩手郡安代町田山の地蔵寺に建てたもので、建立式がこの日、大正2年9月16日に執り行われている。 9月16日は小山田先生の命日でもある。この文章を書いていて、自分でもまったく見当はずれのことを書いているのではないか、とも思っているが、詳細は不明ですので、この絵葉書についてご存知の方はぜひご教示頂ければ幸いです。

創立当時(明治32年12月)の緯度観測所風景 右側の小さい建物に眼視天頂儀が収められていた。 (天文月報 1970年1月号より)

次に紹介する童話「土神ときつね」にも「水沢の天文台」が出てくるので賢治が博士や他の職員と言葉を交わしたということがあれば作品創作に少なからず影響があったのではないだろうか。

「・・・・たとへばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座にもみんなあります。猟犬座のは渦巻きです。それから環状星雲といふのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲とも伝ひますね。 そんなのが今の空にも沢山あるんです。」「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でせう。」「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で見ましたがね。」

「まあ、あたしも見たいわ。」「見せてあげませう。僕実は望遠鏡を独乙のツァイスに注文してあるんです。来年の春までには来ますから来たらすぐ見せてあげませう。」狐は思わずこう伝ってしまひました。 (新校本 宮澤賢治全集第九巻 筑摩書房より「土神ときつね」)

まあ、あたしも見たいわ。・・・・いるか書房独り言・・・・。

(追記)

上の文章を書いてしばらくのちに同じシリーズの絵葉書(其一)を入手しました。「11.7.5」の日付印のある旧本館の絵葉書です。画像では日付がわかりにくいと思いますが、裏の通信面の文面に「大正十一年七夕」とありますので消印は大正11年7月5日でよいと思います。

旧本館の竣工は1921年12月15日(大正10年)ですので竣工1年を経ずして撮影・発行・使用されたことになります。

亀梨書店発行の緯度観測所の絵葉書は、ほかにも違うシリーズで発行されているようで、下の「天頂儀」の絵葉書もそのひとつです。

(追記2)

さらに違うシリーズ絵葉書を入手しました。発行は同じく亀梨書店です。

(其四)の絵葉書の本館を前面から見た構図で、正門の右側に「臨時緯度観測所」とあります。

通信面には、大正三年とあり、消印も大正3年で間違いありませんので、(其四)の絵葉書の撮影は明治末〜大正初年で良いようです。消印は大正2年か昭和2年かよくわかりませんが、それにしてもこの日に何があったのか知りたいところです。

(追記3)

観測所の周囲環境がわかる絵葉書です。発行所は不明です。説明に「水澤緯度観測所」とあり、「臨時」の文字が取れていることと旧本館が写っていることから、大正10年(1921年)以降の発行と思います。


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