火星スケッチ 絵葉書


昭和16年(1941年)に東亜天文協会から発行された8枚組の絵葉書のひとつで、中村要氏による観測です。 「天界」の昭和16年11月号に説明が掲載されていますので、そのまま引用します。

「大正15年の秋に火星が地球へ近づいた時を利用して、会員(故)中村要氏が11月2日と同8日とに京都大学の33糎反射鏡で観察したものである。 此の頃、火星の視直径は約20秒角、火星の世界は初春の気候で、北極の氷雪が未だ大きく広がっている。」

火星の接近はほぼ2年2ヶ月に一度起こりますが、この絵葉書のスケッチの2年前、1924年(大正13年)の接近は300年に一度といわれた大接近でした。 最接近は1924年8月22日で距離5578万km、最大視直径は25.10秒角でフランスのアントニアジらの観測により、火星運河の存在が否定されたのはこの時の接近でした。

この絵葉書のスケッチは1926年接近時のものですが、この時の最接近は10月27日、距離6864万kmで、地上ではアメリカのゴダードが世界最初の液体燃料を用いたロケットの打ち上げに成功した年でもありました。

ところで、「天界」昭和24年(1949年)の9号に野尻抱影氏の「提案」という記事があります。短い文章ですので全文を書き写します。

「火星の「運河」は後進を誤まると思ひます。スキヤパレリの原語canalli(英語のchannel)によって「水路」としては如何。いよいよ人工と確定したら「運河」(canal)で可なりですが。」

以上が全文ですが、「canal」のところと「可なり」のところにアンダーラインを引いています。 抱影氏のユーモアに思わずニコリ。


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