直方隕石と隕石之碑


「直方隕石」の一般公開と「直方隕石之碑」

平成18年10月28・29日の両日、福岡県直方市の須賀神社にて神幸大祭が執り行われ、神社の社宝の「直方隕石」が一般に公開されました。一般公開は5年ごとに行われ、今回で3回目となります。

隕石は28日の朝、御輿とともに引き車に安置され、須賀神社を発御。直方市下境の氏子地域を巡幸の後、お旅所(稲荷神社)に到着。稲荷神社境内で透明ケースに納められたまま公開されました。また、翌29日にも再び引き車に載せられて公開され、宮司の祝詞の後、須賀神社に向けて出立しました。

当日、大勢の方が隕石に見入っていましたが、このようなかたちで一般公開される隕石は非常に珍しいのではないでしょうか。

直方隕石と納められていた桐箱

なお、須賀神社境内に「直方隕石之碑」が設置されていますので、併せて紹介させて頂きます。写真(このページの一番下)のように台座の上に地球?と隕石を配したユニークなデザインで御影石製です。

台座の基部は102cm×102cm、高さ154cm、地球の直径約40cm、台座の最下部より地球の登頂部まで約194cm。隕石は15cm×15cm、高さ17cm位で、灰色の花崗岩製です。

前面に碑文が刻まれ、左側面に奉納者氏名、裏面に平成四年六月吉日 宮司 岩熊正晴 と記されています。碑文は次のとおりです。(本文縦書き・14行)

世界最古 直方隕石之碑

「平安時代の初め 貞観三年(西暦八六一年)四月七日の夜 境郷一帯が突然真昼の明かさにも増して光り輝いたかと思うと 本社境内で激しい爆発音がおこりました 翌日 深くえぐられた土中から黒く焦げた石を掘出し 天から飛来した石として丁寧に桐箱に納めて保存したということです」

このような伝承と共に今に伝えられてきたのが須賀神社(岩熊家)の直方隕石であります 昭和五十六年 国立科学博物館の理化学研究部長村山定男氏等の鑑定によりそれまでの世界記録を六三〇年も上回る「目撃記録を伴う世界最古の隕石」として確認されましたが このことは とりも直さず当須賀神社の歴史の古さを物語るものであります

(記念碑上部の英文)

On the night of April 7, 861 A.D.(the third year of Jougan). a burning meteorite fell with a roarin the precincts of this Shrine.This monument commemorates this event, which is the oldest known and recorded phenomena of its type in the world.

In May, 1992 A.D.(the fourth year of Heisei)

(Shinozuka Ironworks,Ltd)

最後は石碑の奉納者名です。直方隕石の再発見事情(注1)と「飛び石伝説」は、「市報のおがた昭和54年4月号」「市報のおがた昭和55年2月号」と「直方むかしばなし(直方市発行)」及び「天文ガイド1980年4月号」などに詳しい。また、新聞記事では、朝日が昭和55年1/6日、読売が同1/7日、毎日が同1/6日と3/25日ですので、ご興味のある方は新聞縮刷版をご覧下さい。

直方隕石之碑

(注1):既に大正11年に当時の筑豊鉱山学校初代校長・山田邦彦博士の鑑定により隕石と判明されていた。また、同氏による鑑定書「宝鉱図」・副題「下境村須賀神社所蔵隕石之記」が大正13年3月の日付で残されているが、その後の氏の急逝もあって神宝ということで広く世に出ることはなかった。

お旅所(稲荷神社)を出立する神輿と隕石

福岡県行橋市下検地183−6/〒824-0051

上門 卓弘(うわかど たくひろ)TEL:0930-24-5856

iruka-fukuoka@k4.dion.ne.jp


前ページへ戻る